本日紹介する本は、P.F.ドラッカー著作ダイヤモンド社出版「創造する経営者」です。
この本も、Xに投稿されている方から教えてもらいました。
https://x.com/shinkaron/status/1870446629029077212?s=51&t=fgK1alCEi2OBd0de2ThLeA
目次
第Ⅰ部 事業の何たるかを理解する
第Ⅱ部 機会に焦点を合わせる
第Ⅲ部 事業の業績をあげる
①企業の本業は三種類
ドラッガーさんが考える企業が今日行うべき仕事。
それは
・今日の事業の成果をあげる
・潜在的な機会を発見する
・明日のための新しい事業を開拓する
未来は明日つくるものではなく、今日作るものであること。
また、三つの仕事は重なり合い、一つの統合された戦略が必要である。
また、ほとんどの企業に常にいえることが二つあり、一つは企業の成果と資源、一つは企業自身の活動であるそうです。
②企業の成果と資源は、企業の内部にはなく、外部にある。
技術、販売、生産、経理のいずれも、コストを発生させることは確実だが、成果に貢献するかは分からない。
成果は、市場経済における顧客、統制経済における政府当局といった外部のだれかによって決められ、企業の活動が、成果を産むか無駄に終わるかを左右するのは企業の外部にいる者なんだそうです。
また、企業を差別化する唯一の特有の資源は、科学技術から社会、経済、経営にいたる知識を活用する能力なんだそうです。
③成果は、問題の解決ではなく、機会の開拓によって得られるものである
成果をあげるには、資源を問題にするのではなく、機会に投じなければならない。
機会の最大化というならば、企業は、単なる効率ではなく成果こそが本質的に重要であるということになる。
また、成果は、有能さではなく、市場におけるリーダーシップによってもたらされる。
つまり、利益とは意味ある分野において、独自の貢献あるいは少なくとも差別化された貢献を行うことによって得る報酬である。
何が意味ある分野かは、市場と顧客が決定する。
すなわち利益は、市場が価値ありとし、リーダー的な地位によってのみ実現される。
その価値あるものとはリーダー的な地位によってのみ実現され、顧客や市場において、真の価値あるものについて、リーダーシップを握らなくてはいけない。
価値あるものとは、製品ラインの中の小さな、しかし重要な一部、あるいはサービスや流通、さらにあるいは、アイデアを早く安く製品に変える能力であってもよい。
リーダーシップは、事業戦略において、新製品を出した競争相手や、製品を大幅に改善した競争相手に追いつくだけの戦略では頼りにならず、陳腐化した製品の延命という不毛な試みのために、知識という希少で高価な資源を投入するような貿易的な研究開発も戦略として疑わしい。
また、いかなるリーダー的な地位といえども確固たるものとはなりえず、いかなるリーダーシップも、一時的な優位性にすぎず、企業の世界においてエネルギーは拡散する。
このような落ち込みから脱出することが、経営者の責務であり、事業の焦点を、問題の解決にではなく、機会に合わせなければならない。
リーダーシップを再創造して、その他大勢への落ち込みから反騰しなければならない。
④既存のものは古くなる。
経営者が、時間の大半を昨日の問題、過去の修正に使っている。
今日の事業、すなわち、資源、活動、組織、製品、しj、顧客は、すべて過去における意思決定と行動の結果である。
しかもほとんどの人間の姿勢、期待、価値観が、昨日作られた。
従い、彼らは昨日の教訓を今日使おうとする。
しかし、いかに賢明且つ前向きで勇気のあった決定と行動も、それが普通の行為となり日常の仕事となった頃には、世の中の流れに遅れたものとなっている。
物事は、予想通りには起こらない。
未来は常に違う。
既存のものは古くなる。
あらゆる意思決定と行動がそれを行った瞬間から古くなり始める。
従って、通常の状態に戻そうとすることは、不毛である。
経営者の仕事は、昨日の通常を、変化してしまった今日に押し付けることではなく、企業と、その行動、姿勢、期待、製品、市場、流通チャネルを新しい現実に合わせて変化させることである。
企業は、自然現象ではなく社会現象である。
そして社会現象は正規分布せず、一方の極の10%からせいぜい20%というごく少数のトップの事象が成果の90%を占め、残り大多数の現象は成果の10%を占めるにすぎない。
これは市場についてもいえ、数千の顧客のうちごく少数の大口顧客によって、受注の大半は占められ、製品ラインの中の数百品目のうちごく少数の品目によって、売上の大半が占められる。
営業についても、数人の営業部員が新規取引の三分の二を取ってくる。
工場についても、わずかな生産ラインが生産の大半を賄い、数人の研究者によって重要なイノベーションのほとんどが生み出される。
社会現象の分布に関する以下の仮説が大きな意味を持つ。
第一に業績の90%が業績上位の10%からもたらされるのに対し、コストの90%は業績を産まない90%から発生する。
第二に資源と活動のほとんどは、業績にほとんど貢献しない90%の作業に使われる。
すなわち資源と活動は、業績に応じてではなく作業の量に応じて割り当てられる。
あるエンジニアリング会社の大口顧客は売上のほぼ三分の一を占める自動車メーカーだったが、技術サービス陣のうち自動車メーカーのエンジニアリング部門や工場に足を運んだことのあるものは、ごくわずかだった。
同じように、優秀な営業部員の多くが、昨日の製品、あるいはマネジメントが独善と見栄から成功させようとしている並みの製品を担当させられており、明日を担うべき重要な製品については、売るための努力が十分に払われていない。
第三に利益の流れとコストの流れは同僚ではない。
コストは何も産まない活動、単に多忙な活動に向かっていく。
従って、企業活動の評価と方向づけの見直しを常に行わなければならない。
しかもこの見直しは、見直しが最も必要でないと思われる活動、すなわち現在の事業について最も必要とされ、最も有効な分析と最も大きな労力が必要とされているのが現在である。
しかし、昨日の洋服につぎを当てるほうが明日の型紙をデザインするよりも、危険なまでに易しい。
また、事業を理解するには、事業全体を見なければならず、企業の資源や活動を全体としてとらえ、それらの資源や活動が、どのように製品、市場、顧客、用途、流通に割り当てられているか見なければならない。
どの活動が問題に振り向けられ、どのような活動が機会に振り向けられているかを見る必要がある。
資源や活動の方向づけと配分を、常時、比較し検討していかなければならない。
業績をあげるには、大きな利益を生む少数の製品ライン、サービス、顧客、市場、流通、用途に集中しなければならない。
そして、人材は、少数の大きな機会に集中しなければならない。
成果をあげる知識をもつ高度の人材、それはあらゆる人材のうち、最も大きな成果をあげうる人材、すなわち経営者について言える。
④業績をもたらす領域-事業を分析する
事業の分析の基本は、現在の事業、すなわち過去の意思決定、行動、業績によってもたらされた今日の事業の骨格、すなわちその経済的な構造を調べることから始め、具体的には業績をもたらす領域を明確にし、理解しておかなければならない。
業績をもたらす領域とは、個々の事業、すなわち扱う製品やサービスであり、顧客や最終需要者を含む市場であり、流通チャネルである。
業績をもたらす領域についての分析は、製品とサービスの分析、特に定義から入るべきなんだそうです。
例えば販促用製品の古典的な例はジレットの安全かみそりだが、同社のかみそりは、利益率の高い買い替え刃市場を創出するために、ただ同然で販売されたそうです。
つまり、製品の定義とは、事業上の重要な意思決定の問題となる。
また、製品を市場に届けるには、流通チャネルがなければならず、製品、市場、流通チャネルのそれぞれが、事業活動の領域としてそれぞれ業績をもたらし、市場におけるリーダーシップ上の地位を占めることになる。
これら三つの領域は、総合的に、かつ互いの相関関係において分析しなければならない。
⑤利益と資源、その見通し
ドラッガーさんの考えでは、
①利益の流れとコストの流れは同じではない。
②事業上の事象は、成果の90%の原因から生まれるという社会的事象に特有の分布の仕方をする
③利益は売上に比例し、そのほとんどは、わずかな種類の製品、市場、顧客によってもたらされる
④同じく、コストは作業量に比例し、そのほとんどはわずかの利益しか生まないおそらく90%という膨大な作業量から生じる。
今日の企業活動のコストのほとんどが、作業量による配分が最も現実に近い唯一の計算となること。
一方、製品のリーダーシップをもつということは、市場や顧客のニーズに最も適合しているということであり、顧客が喜んで代価を払ってくれるということである。
独占者がリーダーシップを失うのは、顧客に選択権が与えられていないからであり、第二の供給者が現れると、限界的な存在へと変わる危険性がある。
市場シェアによってリーダーシップを判断するのは間違いで、その優位性は利益をもたらさずにコストをもたらしがちであること。
市場シェアの大きな企業は、あらゆる領域において事業を行おうとする。
しかしあらゆる領域において卓越した活動を行うことのできる企業など存在しない。
むしろ小さな特化した企業だけが、時として、自らのあらゆる製品とサービス、あらゆる市場と最終用途、あらゆる顧客と流通チャネルに関して、リーダーシップを握ることができる。
また、独占に代わるものは、自由競争ではなく、少数のメーカーや供給業者間の競争、すなわち寡占であるそうです。
市場経済の下では、顧客が喜んで代価を払い、優先して購入してくれることだけが、経済的な成果を図る有効な基準である。
従って、製品の市場におけるリーダーシップの分析には、「この製品は、ほかの製品に優先して、あるいは少なくとも同程度に求められて購入されるか」「顧客に購入させるには、特別なアフターサービスを提供しなければならないか」を問わなければならない。
そして「顧客からの代価として、最小限必要な平均的な利益を得ているか」と問わなければならない。
主力製品に際立った特性がなく、市場でリーダーシップを握っているという確証がないならば、売上や利益が順調なうちに、手をうたなければならない。
また、製品の見通しについても、横断的で同時的な製品分析を行う必要がある。
⑥顧客が事業である
事業とは、市場において知識という資源を経済価値に転換するプロセスであり、事業の目的は顧客の創造である。
買わないことを選択できる第三者が、喜んで自らの購買力と交換してくれるものを供給することであり、知識だけが製品に対し事業の成功と存続の究極の基盤たるリーダーシップの地位を与えてくれる。
事業の内部からは、自らの卓越した知識さえ見ることができない。
彼らにとっては当たり前のものだからであり、自らの知識や能力には特別の意味はなく、誰もがやっているに違いないと錯覚する。
逆に、自らにとって難しいもの、不得手なものが大きく見える。
一方、マーケテイング分析から明らかになっていることがある。
①顧客と市場を知るのは、顧客のみ。
従って、顧客に聞き、顧客を見、顧客の行動を理解して初めて、顧客とは誰であり、彼らが何を行い、いかに買い、いかに使い、何に期待し、何に価値を見出しているかを知ることができる。
②顧客は満足を買う
企業が売っていると考えているものを顧客が買っていることは稀であり、顧客は満足を買っている。
③競争相手は同業他社にとどまらない
ロールスロイスやキャデラックなどの高級車は、低価格車との競争関係にあるのではなく、高級車を買うものが買っているのはステータスである。
例えばキャデラックがミンクの毛皮や豪華リゾートでの休暇などと顧客の金を争っていることは誰もが知っている数少ない例である。
ボーリング場の設備メーカーの競争相手は、同業他社ではなく、顧客が買っているものは、運動であり、行うことである。
つまり、彼らの競争相手は、豊かな都会人の自由時間に応えるすべてのもの、すなわちボート漕ぎ、芝生の手入れ、大学の夜間講座である。
1960年代に不振の原因となったのは、同業他社だけを競争相手と定義したことで、ほかの活動が自由時間市場を伸縮しつつあることに気づかず、彼らは自由時間市場において、明らかに昨日の製品になりつつあったボーリングに代わるべきものを自ら開発していく必要に気付かなかったとポーターさんは分析しています。
④質を決めるのは企業ではない
メーカーの考える製品の質とは、単に生産が難しくコストがかかっているだけという場合が少なくない。
しかし顧客はメーカーの苦労には動かされず、顧客の関心は、「この製品は自分のために何をしてくれるか」だけである。
⑤顧客は合理的である
顧客の合理性がメーカーの合理性と同じであると考えたり、同じでなければならないと考えると危険である。
⑥顧客の企業に対する関心は些細なものである。
市場に取っては、いかなる製品、いかなる企業も重要な存在ではない。
最も価値があり、最も望まれている製品でさえ、多様な製品、サービス、満足の一部に過ぎない。
⑦決定権をもつ者、拒否権を持つもの
購入の決定権をもつ顧客は、少なくとも二人いる。
最終購入者と流通チャネルである。缶詰メーカーには主たる顧客が二人いる。
主婦と食品店である。
食品店が陳列してくれなければ主婦も購入してくれない。
⑧市場や用途から顧客を特定する
素材メーカーと最終用途品メーカーは顧客を特定することが極めて困難である。
製品は、必然的に顧客ではなく原材料によって規定される。
その場合、マーケテイング分析は、顧客ではなく市場や用途からスタートすればよい。
その場合、「誰が買うか」だけでなく「どこで買うか」「何のために買うか」といった視点がある。
あらゆる企業が、顧客、市場、用途のいずれかを中心に定義できる。
⑦知識が事業である
顧客が事業であるのと同じように、知識が事業である。
物やサービスは、企業がもつ知識と顧客がもつ購買力との交換の媒体に過ぎない。
知識は、また本の中にはなく、本の中にある情報を仕事や成果に結びつける能力をいう。
事業が成功するには、知識が、顧客の満足と価値において、意味あるものでなければならない。
知識は、事業の外部、すなわち顧客、市場、最終用途に貢献して初めて有効となる。
自社が知識を把握するための知識分析の最善の方法は、自社が成功してきたものと失敗してきたものを調べることである。
それは、他社はうまくできなかったが、わが社はさしたる苦労もなしにできたものは何かを問わなければならず、同時に他社はさしたる苦労無しにできているのに、わが社はうまくできなかったものは何かを問わなければならない。
最後に、いかなる企業も、多くの知識において同時に卓越することはできない。
市場が経済的な報酬を与えてくれるような真の知識をもつには、集中が必要である。
知識分析においても、
①「わが社は適切な知識をもっているか。わが社の知識は成果があがる領域に集中しているか」
②「わが社は貢献している知識に対して報酬を受けているか」
③「わが社の知識は、わが社の製品やサービスに十分に組み込まれているか」
④「いかにして知識の利用法を改善できるか、そこにおいて欠けているものは何か。掛けている知識はいかにして手に入れるか」
⑧未来を今日築く
リスクが富を生む。
「すでに起こった未来」を探すことが、必ず機会をもたらす。
既に起こった未来は、組織の内部ではなく外部にある。
それは社会、知識、文化、産業、経済構造における変化である。
基本的な知識の登場が役に立つようになるには、十年ないし十五年かかる。
文化的な変化も、時間をかけて影響をもたらす。
途上国が急速な経済発展に成功するかどうかは分からない。
成功するのは、ごく少数の国にとどまることも大いにあり得る。
それら少数の国でさえ、困難な時期を迎え、危機にさらされる。
しかし、中南米、アジア、アフリカの人たちが経済発展の可能性に目覚め、その果実を手にすべく決意していることは、変わりようのない事実である。
そしてその事実が、代わることのない経済発展への原動力を生み出す。
すでに起こった未来は、体系的にみつけることができる。
調べるべき領域は主に五つある。
①人口構造。人口の変化は、労働力、市場、社会的圧力、経済的機会にとって最も基本となる動きである。
②知識 現在の企業に直接の関係のあるなしにかかわらず、あらゆる知識の領域において、すでに起こった未来を探さなければならない。
大きな影響がまだ現れていない基本的な変化がすでに起こっていることをみつけたならば、当然、「期待すべき期待は存在するか」を検討しなければならない。
③ほかの産業、ほかの国、ほかの市場。
「われわれの産業、国、市場を変える可能性のあることは起こっていないか」を考えなければならない。
④産業構造 「産業構造において大きな変化は起こっていないか」を検討しなければならない。
⑤企業の内部 企業内に何かを導入した時もめ事が起こる、新しい活動が組織内に変化を引き起こし、すでにうけいれられているものと対立する。
目的を達成した事実や活動は、大きな変化の時代に入る、しかしそのような事業や活動に従事する者のほとんどが、そのあとも長らく、すでに達成した目的をなお達成しようとして働く。
したがって、そのようなときこそ、すでに怠未来という機会を発見すべき時期にある。
競争相手が、達成された目的をさらに達成すべく相も変わらず同じ努力をしているとき、目的が達成されたことを認識し努力の方向を転換した企業が、明日のリーダーシップを握る。
⑨意思決定
あらゆる事業について、中核となるべき次のような意思決定がある。
それは、「事業の定義」「卓越性の定義」「優先順位の設定」の三つである。
まず、あらゆる企業が自らの事業についての定義、すなわち事業とその能力についての定義を持たなければならない。
そしてあらゆる事業が対価の支払いを期待できる貢献を描かなければならない。
「顧客の事務管理部門に対し、近代的オフィスに必要な機器や消耗品を供給する」というものも事業の定義としては十分であり、「わが社の事業は、高エネルギー物理の生産工程への適用である」も定義として有効である。
「住まいに誇りを持ち手入れをする住宅所有者に奉仕することである」も住宅雑誌社の定義としては完全に有効である。
事業の定義が有効であるためには、成長し変化していけるだけの大きさのものでなければならない。
「わが社の事業はテレビ受像機である」では小さすぎる。
事業の定義は、集中を強いるものでなければならない。
卓越性を獲得すべき知識を特定し、リーダーシップを獲得すべき市場を特定しなければならない。
事業の定義が有効であって初めて、企業の中の人間も、「これは関わりが深いから調べてみなければならない」「これは関わりが内から何もしてはならない」ということがいえる。
言い換えるならば事業の定義が事業の方向付けを行う。
そして事業の定義は実行可能でなければならない。
事業の定義と密接に関連するものとして、卓越性の定義がある。
卓越性とは、常に知識に関わる卓越性であり、事業にリーダーシップを与える何らかのことを行いうる人間能力のことである。
自らの卓越性を狭い専門分野、例えば高分子化学や財務分析というように定義する企業は、自らを貧血状態に陥れることになる。
逆に職業別電話帳の見出しのいたるあらゆる能力を列挙しているようでは、いかなる領域においても凡庸以下の成果しか上げられない。
卓越性の定義が有効であるためには、実行可能であって、直ちに行動できるものでなければならない。
それは人事の決定すなわち「誰を何に昇進させるか。どのようなひとたちを採用するか。どのような人たちをどのような条件によって惹きつけるか」の決定の基礎となるものでなければならない。
卓越性の定義を頻繁に変えることはできない。
それはすでに、かなりの程度、従業員とその価値観、行動に体現されているからである。
しかし、定期的に見直し、そのつど新しく考えていかなければならない。
事業の定義、構造、市場、知識に変化があれば、必要とする卓越性の定義もやはり変えなければならない。
事業をいかに組織化し単純化しても、なすべきことは常に、利用しうる資源に比してはるかに多く残る。
機会はそれらを実現するための手段よりも多い。
従って、優先順位を決定しなければ何事も行えない。
そしてこの優先順位に関わる意思決定においてこそ、企業そのもの、その経済的な特性、強みと弱み、ニーズについての最終評価が反映されなければならない。
優先順位の決定が、よき意図を成果をあげるコミットメントへと、洞察を行動へと具体化する。
優先順位の決定がマネジメントの視点と真摯さを語る。
難しいのは、劣後順位の決定。
なすべきでないことの決定である。
延期は放棄を意味する。
数少ない大きな機会に対し、同じく数少ない一級の人材を割り当てない限り優先順位を決定したことにはならない。
潜在的な可能性を顕在化させたり、未来において何かを起こすための大きな機会に対しては、目前の確実ではあっても小さな機会は犠牲にして、ふさわしい人材を割り当てなければならない。
⑩本を読んだ所感-ドラッガーさんの経営書は、全部読まなければダメだ
私にとっては、これまでしっかりとドラッガーを読み込んでいなかったことが信じられないぐらい強烈な読書体験でした。
既に数十年以上経った本ですが、内容が新鮮。
更にドラッガーさんのシリーズを読んでいこうと思います。