サラリーマン受難の時代

新卒から18年在籍した日鉄エンジニアリング株式会社がカナデビア(旧日立造船)に吸収合併されることを前提とした統合検討を始めるというニュースを拝見しました。

カナデビアが経営統合を検討 日鉄エンジと海外展開を加速(共同通信) – Yahoo!ニュース

私の入社した2000年の段階では、新日本製鐵株式会社のエンジニアリング内部部門として存在した状況からは想像しずらい変化です。

2000年代初頭はバブル崩壊、アジア通貨危機の影響などもあり、新日鐵全体が赤字で苦しんでいたのを覚えています。

エンジニアリング部門も本州四国架橋、東京湾横断道路などの大型プロジェクトが完工したこと。

従って、2000年代初頭は海外のインフラ整備と、大手石油メジャー会社のエクソンやシェルからロシア サハリン開発プロジェクトを受注したり、羽田空港の第四滑走路建設に関するジャケット工法提案、受注に奔走したりと、これぞ新日鐵という大型プロジェクトに携わっていました。

私自身、特別円借款工事となるフィリピン スービック-クラーク-タルラック高速道路建設、マグサイサイ橋斜張橋建設工事のアドミ業務に携わらせて貰うなど、海外事業に携わるきっかけを頂きました。

潮目が変わったのが2006年のエンジニアリング事業の分割、そして親会社100%出資による子会社化でした。

新日鐵はその後鉄鋼部門の強化に向けて、住友金属、更には日新製鋼との統合、海外事業展開などを果たしていく中、エンジニアリング部門は事業の中核ではないと判断したんだと思います。

それでも2000年代後半は中国経済の伸びに伴い、親会社の日本国内外への積極的な投資により、日鉄エンジニアリング内に残った製鉄プラント事業も十分な収益を得て、会社としては安定した事業基盤があるように見えました。

しかし、その後

1.橋梁.ケーブル事業からの撤退

2.製鉄プラント事業(コークス事業除)の親会社への移管

3.海外石油天然ガスプラットフォーム施工事業からの撤退

と事業移管、撤退の判断が続きました。

私自身は2012年から2018年まで製鉄プラント事業の東南アジア営業をしており、一時期は親会社の戦略投資案件の受注、そして中国合弁会社と協業してインドネシア華僑から連続して仕事を受注するなど、個人としての海外営業実務の基盤/実績はここで築き上げました。

反面2度の休職も体験し、会社を離れるきっかけの一つとなった出世への道は40代頭に明確に断たれたと感じました。

ただ、まさか自分が従事する事業の大部分が親会社に移管され、日鉄エンジ内から無くなったりすることまで予測出来ていませんでした。

その後、自分自身で転職という判断を含め、人生を選択してきたことが、まさに自分の可能性を広げる結果となり、『人間万事塞翁が馬』だと今更にして感じます。

現在の日本企業は経営効率を常に株式市場から求められており、例えば日立製作所やソニーのように、従来行っていた既存事業の大半を売却し、ターゲットとなる事業を選択、買収し、投下資本に対するキャッシュを継続的に最大限稼げる会社がもてはやされます。

従って、サラリーマンとしても、自分のやっている仕事が具体的な成果を継続的に出していかないと、事業や組織そのものの切り売りが起こる可能性が高くなってきたこと。

そして私自身の試み/対策としては、サラリーマンとして一生懸命働くだけでなく、フランチャイズバリューを持つ=企業価値を継続的に高められる企業の長期保有株主となることで、人生のリスクヘッジを行うこと。

更に、株主から見える視点で、会社の経営も理解することの重要性が益々高まっているのではないかと今回の事業売却劇を見ていて改めて感じた次第です。

日本社会は大きく変わってきていますね。