本日は、スズキのインド子会社 マルチ・ウドヨク社元社長 R.C.ガルガバ氏著作「スズキのインド戦略」を紹介します。
まず、この本の著者となるマルチ・ウドヨク社の初代社長がインドの方であり、虚心坦懐に日本的経営を学び実行したことが、インドで40年近く、市場シェア40%超を継続している一つの要因だと、本を読み始めて感じました。
この後,紹介する会社への日本的経営の導入は、スズキの力を大きく借りながらも、インドの方が実行していったのです。
現在インドで成功しているダイキンの事例を見ても、インドの方をTOPに据えています。
いずれにせよ、インドでマルチ・ウドヨク社(マルチ・スズキ・インデイア社)がどのようにインドマーケットに入り、結果として今でも約40%強の市場シェアを誇るようになったのかを、インドの方の目で語っているのが、凄く面白いと思い、紹介します。
R.C.バルガバさんは、IAS(Indian Administrative Service)に任官。
バーラット重電機公社(BHEL)理事を歴任後、1981年マルチ・ウドヨク社の設立に役員として派遣。
1985年に社長に任命、1997年まで勤められたそうです。
第1章 インド最大の自動車の目になった「風の神」マルチ
第2章 人をつくる、組織をつくる
第3章 インドで車を売るということ
第4章 部品メーカーを育てる
第5章 販売・マーケテイングー「インド市場」の実像
➀鈴木会長との出会い
まず、1981年に国営企業として自動車をつくるメーカーを探すために、日本に来日した際、マルチ初代社長とバルガバさんが幾つかの日本メーカーと対話。
その際にスズキ社長の鈴木さんが、工場設立のレイアウトに関して助言すると、バルガバさんは、当初の日本出張予定を伸ばし、鈴木さんがアメリカ出張から戻ってきた後、更なる対話をしたそうです。
また、他の日本メーカーは役員の挨拶はあったものの、自動車会社トップとして最初から最後までマルチの方に対応したのが、鈴木さんだけだったそうで、マルチ側は、ビジネスの面で対等の立場で語り合い、一緒に成功できるかという視点で見た際に、スズキが良いと判断したそうです。
一方、スズキの方も軽自動車やオートバイをつくっていたため、先進国よりも発展途上国のアジア地域への進出が良いと考えたそうです。
更に、鈴木さんがマルチの経営は、日本的経営でいきたいと二人に伝えたところ、鈴木さんのやり方に任せるとなったそうです。
従って、当初マルチの従業員向けに日本の風習や習慣の説明の映画なども作ったそうです。
「8時ちょうどに工場が始まるとすると、日本では従業員は7時半に出社して15分体操して、グループミーテイングをやって、7時55分には職場に入って、8時と同時に仕事に取り掛かる など」
②1980年代の日本の対インド投資ースズキだけが最大の成功例
1980年代には、トヨタ、日産自動車等様々な会社が小型商用車生産の為にインドに設立した数々の合弁事業が失敗したそうです。
➀高度に政治化された労働組合、
②許認可手続きの厄介さ、
③行政の汚職など
居心地が悪いものとしている中、スズキだけはマルチに積極的に参画し、成長軌道に載せ、2007年には100%子会社化を果たしました。
一般的に、新規市場にて成功させる鍵の一つに、市場の持つ可能性を正確に評価することにありますが、インドの自動車市場は30年以上閉ざされていたそうです。
例えば、国内の自動車メーカーは政府から受けた製造台数上限の制約のみならず、詳細な製品仕様まで規定された製造免許の条件に従わなければ、自動車製造が出来なかったそうです。
長年、販売価格も統制され、一方、25年以上同じ車種を製造・販売し続けても生き残れた為、新車の販売台数は年間4万台の水準で停滞していたそうです。
一方、価格競争力のある国内メーカーの商用車に対して、日本勢の製品は価格が高すぎたそうです。
そんな中で、政府主導で、マルチが立ち上がった際に、5年以内に年間生産台数を10万台まで引き上げること、そのうち5万台をパートナーが買い取ることを目標に、外国企業のパートナーを探していたそうです。
インド市場調査の結果、最も重視される性能は燃費効率であり、信頼性が高く、価格が安く敷居が低い通勤用の車が顧客ニーズを最大化すると理解し、欧州メーカー(ルノー)からほぼ妥当な提案を受け取っていたそうです。
しかし、最終決定を下す前に、日本のメーカーからも提案を受けた結果、スズキの車種が抜きんでてインド市場に適しているという判断となり、合弁事業の協定を結んだそうです。
尚、当初選んだ車種は3種。
そのうち最初の車種となるエンジン排気量800㏄の「マルチ800」は、既存のインド既存メーカーの車種と比べても、タイヤが小さく、小型乗用車であることから、インドの悪路に耐えられないなど、批判が出たそうです。
しかし、その声に負けず、インド全土の多くの都市で展示し、破格の車両価格20万ルピー、うち手付1万ルピーの手付金で予約注文を開始したそうです。
結果、非常に魅力的な価格設定と燃費効率や信頼性の高さ、日本で走っている車と同じものであることを宣伝したところ、結果として12万台の予約注文に達したそうです。
その予約状況も知れ渡ることで、中古市場では成果の2倍以上を払う必要があるほど、ブランドイメージが出来、初年度から利益を計上することが出来たそうです。
尚、生産ラインのレイアウト、操業手順、保守計画、品質管理システムなどは、スズキで採用しているものをそのままの形で導入。
一方、自動化については、生産設備の稼働率を最高レベルに維持することを目的として、ずっと低いレベルに留めておくことで、あらゆる生産設備の稼働率が100%を達成したそうです。
③全社一体という仕事文化を作る
インドの労働者は通常、個人の人間的成長やキャリアアップは企業の発展とは関係がなく、割り当てられた業務を遂行することのみが業務だと考えられていたそうです。
彼らは、自分が直接関係しない業務については、ひとかけらの責任感も感じないし、業務改善などについても、トップマネジメントの仕事と考え、自ら意見することもまずない。
労働組合や労働者は、会社の支払い能力について考慮することなく、自分たちの要求のみを会社に突きつけるのみで、経営者と労働者は、敵同士であり、お互いに不信感を抱いてコミュニケーションをとることもまれ。
このような状況の社内にチームスピリットを構築するために、マルチでは、経営陣や従業員問わず、共通の制服、食堂、トイレ、個室のないオフィスを教師、本社と工場の職場環境の統一、従業員と管理職に与えられる福利厚生の統一を実施したそうです。
更に発足段階から労使協調の理念を導入し、経営者と従業員の間に信頼を醸成することで、企業の成長と繁栄のみならず、従業員自身にも潤いをもたらすと教育し、実施したそうです。
また、この日本的経営の導入に向けて、鈴木社長が支援し、人事や経営に関わる決定に際してスズキが拒否権を持つことで、政府の余計な介入もなかったそうです。
④「仕事文化」定着への取組み-カーストは風習に過ぎない/人が求めるのは賃金とやりがい
公営企業において特に顕著なインド的仕事文化の変革、そのためには、変革には時間が掛かるということ。
もう一つは変革の基礎になるのは、教育と質の高いコミュニケーションであること。
そのために、マルチでは、教育と訓練に力を入れたそうです。
多くの技術者や管理職、職長クラスを日本に派遣し、その研修プログラムには、技術だけではなく、日本の文化、習慣、そして経営システムまでが盛り込まれていたそうです。
更に一般労働者、労働組合の代表者もスズキの労組の幹部と接触したそうです。
また、マルチの訓練プログラムでは、従業員と会社、双方の共通の利益について説明し、従業員の利益がマルチが生み出す剰余金のみから生み出される仕組みも説明したそうです。
尚、インドは、多宗教、多言語国家であり、カースト制度や低い識字率であることに対して、日本は均質的な社会のため、インドの条件下で、日本のやり方を実行できるとは思えないといった意見も多数出たようです。
しかし、バルガバさんは、人間は世界中どこでも、物質的な反映と労働による充足感の両方を達成しようと欲するため、インドの風習は変えることができるという信念のもと、オーナー経営者や年配の経営者が労使間に横たわる疑心暗鬼を取り除き、信頼に基づく公平な関係を構築することが大切だと考えたそうです。
そのためには、幹部が会社から与えられる多くの特権を返上し、従業員教育に時間を割くべきである。
この考え方をマルチの中で浸透させていったそうです。
⑤生産性と品質の向上
インドの賃金相場は今でも先進国に比べてかなり低い。にも関わらずインドの製造コストは考えられているほど低くない。
その理由に労働生産性が低い。
この理由を社内で徹底議論した結果、仕事の確保から、賃上げ、従業員の生活向上をどうすれば成し遂げられるのかに至るまでの長期的展望に立った社員教育が社内になかったという結論に至ったそうです。
農村部から採用された従業員は、産業界における厳しい競争環境、技術や生産性、質、顧客サービス、会社への貢献について考えたことすらなかったこと。
更に事業拡大や工場の近代化の為には利益が必要であることも最初は理解されなかったそうです。
この労働生産性の向上をマルチで実現した大きな要因は、幹部自身がこれまで従業員とお意思疎通や教育を怠ってきたことを認めた事だったそうです。
また、スズキからは、世界最高水準の生産性の達成を目指し、社員教育と社内での円滑な意思疎通の実現にどれだけの歳月を費やしたかなど多くのことを学んだそうです。
また、まずマルチの中でやったことは、適正人員算出の際の出勤率を93%まで引き上げたこと。
同時に機械設備の生産性を高く設定し、当時インドで自動車生産を行っていたその他2社の行員一人当たり年間生産台数が2-3台だったのに対して、マルチでは25台まで引き上げられたそうです。
更にその台数は50台、60台と引き上げられ、工員一人当たりの価値創出も10倍以上に拡大したそうです。
また、雇用についても、コネ、宗教、カーストとは無関係の人員選抜を達成するために、インド工業研修学校の終了証を有する高校卒業者以上の学歴、外部機関による試験システムを導入し、その後面接を行うことにしたそうです。
更に、インド全土からの採用を目指し、求人州の20%は州外から採用したそうです。
スズキとの合弁契約において、人材の増員はスズキの合意なしにはできないことになっていたため、従業員の総数は一定に保たれたそうです。
⑥教育、研修こそがスズキの賜物
スズキは、日本で提供される研修の費用について上限を儲けることはなく、研修はすべて無償でマルチ従業員に提供されたそうです。
マルチ開業当初からの数年間、管理職を含む相当な人数の幹部が研修の為に日本へ赴き、さらに半年間の現場研修の為、製造ラインの従業員の受け入れにも同意したそうです。
更にこうした訓練を受ける従業員には、スズキから給付金が支給され、この研修プログラムが自動車生産技術の移転のみならず、すべての要員が日本企業文化を理解するうえで大きな成果をもたらしたそうです。
このマルチ要員の日本での研修、そして日本人技術者のインド派遣にかかったコストは当初の計画を大きく上回ったが、その超過コストは、マルチが高い生産性と稼働率、そして品質を獲得したことで、後に何倍にもなって回収されたそうです。
この経験から学んだことは、技術移転は生産現場において最も効果的に実現できること、研修は現場スタッフ全員にとって必須であること。
そして研修の講師は生産プロセスと試用される機械設備に詳しい熟練した技術者が適任であることだそうです。
また、インドの従業員昇格制度において、昇進と昇格を切り離し、責任が増したからといて自動的に昇給することを止めた結果、年功序列を考慮せず、的確な人材を任命できるようになったそうです。
従来年功と給与水準こそが重要で、給料の多い社員が給料の少ない社員の下で働くなどありえないというインド旧来の慣習から遠く隔たっていたそうです。
⑦生産性を向上させたボーナス制度
マルチの経営陣が打ち出した重要な方針の一つ。それは従業員に企業の一員としての自覚を持たせ、自ら動く仕事文化を想像し、そのモチベーションを継続させていくことだったそうです。
その為には、会社の重要な催しや出来事についてきちんと伝え、生産目標やその関連方針を決定する前にも従業員の意見を聞いたり、QCや提案制度、カイゼン活動を導入したりもすることで、それぞれの部署で仕事のやり方の改革に参加できるようにしたそうです。
更に、これまでなかった売上高、そして出勤率に応じたボーナス査定とし、幹部も従業員と同様の連動性にしたことが、従業員のモチベーションを上げるきっかけになったそうです。
⑧サービスをデイーラーの収益源に
インドのデイーラーの主な収益源は長らく自動車販の新車売に限られ、それ以外の道を見出そうとしなかった。
マルチのデイーラーも「マルチ800」の販売から15年程は車の販売手数料のみで利益を得ていたそうです。
しかし、マルチはでデイーラーに設備の整った整備サービス施設を設置させ、各拠点に純正部品を常備させることで、整備等のサービスで儲ける術を見つけるよう指示したそうです。
更に年に2会のデイーラー大会にて、オーナーと配偶者を招待し、マルチの経営方針と目標について、デイーラーも交えて議論し、その結果を最終的な経営計画に反映させること。
またデイーラーの販売やサービスについて詳細な評価を行い、サービス分野での実績、修理工場の生産性と作業量を評価の対象としたことがデイーラーの経営管理能力を向上させたようです。
更に鈴木会長によるデイーラーとの交流、ショールームや修理工場の視察、更に日本への招待によるデイーラーの見学も士気を大いに高めたそうです。
⑨部品メーカーを長期的なパートナーに
マルチはインド政府から、創業から5年以内に現地生産比率を90%以上に載せることを義務付けられていたそうです。
従って、すでに自動車関連産業に従事している既存の現地企業をマルチの部品メーカーに育てていく方針を打ち出したそうです。
その際、スズキがマルチにたいして 提言したのが、部品メーカーを下請ではなくパートナーとして位置づけることだったそうです。
入札による最安値のメーカーを選ぶのではなく、パートナーとなり得るメーカーを選定。
スズキの示す品質基準に合致するようインドの部品メーカーと日本の部品メーカーとの提携を促す。
そして部品ごとのコストの詳細内訳を提出してもらい、コストを引き下げられる部分と動かせない部分を見極め、適正な利潤を探ったそうです。
⑩貧富を問わないインド人消費者のコスト意識
インドでは、車の燃費効率が自動車の売れ行きを決めるそうで、世界中で一番コスト意識が強いとバルガバさんは言います。
ファッションを意味する「ブランド」は、価格が製品の価値に見合わない限り、インドではまったく魅力を発揮しないそうです。
「マルチ800」が販売された当時、インドで製造されていた他の2つのモデルに比べ、燃費の点で圧倒的な優位にあった為、成功の大きな柱になったそうです。
コスト意識は、修理部品代や修理費に対する購入者の態度にも現れるそうで、15年程経てば廃車にするという考え方はインドには存在しないそうです。
マルチが将来の自動車市場規模の予測作業をしていたとき、インドの路上を走行している自動車の総数と、1950年以降インドで製造された自動車の台数があまり違わないという事実があったそうです。
インドで成功しようとするメーカーに必要なのは、まずインド人の心理や消費性向を十分に理解すること、そして彼らのニーズに完全に合致する製品を提供することだそうです。
⑪自分の所感ー日本式経営を愚直に入れた成功例
スズキは、マルチを創業してから、本来のコスト以下で多くのものを供給し、7年間ずっと赤字だったそうです。
それが、この本が書かれた2006年には、売上の10%をインドが占めるようになり、2023年時点では、売上の50%超がインドとなっています。
当初、鈴木会長が決断し、スズキが妥協せずに惜しみなく技術を出していったこと。
また、マルチの経営者となったバルガバさんの経営が優れていたことが要因だと思いますが、日本的経営がインドで大成功した大切な実例だと思います。
私も、前の会社に在籍した際、インドの製鉄所での工事の営業をした時に、インドの顧客、特に幹部クラスが現場を見るという習慣が無い為、当時社内のSVの方が、現場の証拠写真を取り、顧客幹部に突きつけていたのを思い出します。
このようなインドの文化の中で、日本の製造業のやり方を貫くことで、成功したところに、日本企業がインドで成功する一つの鍵があると思いました。
宜しければ、本の方もお読みください。