本日は、黒木 亮さん著作「地球行商人 味の素グリーンベレー」を紹介します。
黒木亮さんは、都市銀行、証券会社、総合商社勤務をへて、2000年に作家デビュー。
「巨大投資銀行」、「鉄のあけぼの」など著名な小説を書いていますが、今回の本は、なんとノンフィクション!
味の素の地を張った営業、商品開発と世界各地域での文化圏の違いなどによる苦労話が満載となっており、是非取り上げたいと感じました。
第1章 フィリピン直販部隊創設
第2章 ベトナム全省踏破
第3章 中国市場開拓
第4章 ナイジェリア再建請負人
第5章 ペルーの大地に溶け込む
第6章 インド炎熱商人
第7章 エジプト革命と動乱の日々
第8章 ナイジェリアの納豆調味料
➀東南アジア市場開拓-フィリピン直販部隊創設から始まった
味の素の直販体制は、1960年代にフィリピンにて、一営業マンの古閑さんという方の提案から始まったそうです。
従来問屋に下ろして、売上に応じたロイヤリテイを貰う商売から、サリサリストア(小売店)に置いてもらい、その国の家庭の味として根付かせる、また現地で買える価格に合わせて、量を減らしたパッケージに変えて売る。
ペルーの日系貿易商が1.6グラムの小袋に小分けしたものを直販し、大きな成功を収めていたこともあり、フィリピンでも同様の販売方法を実行。
7千以上の島々の群島国家のすべての小売店をしらみつぶしに回るブルドーザー作戦を推し進め、現地スタッフ、現物取引、現金の「三現主義」を実行。
各人の目標は売上ではなく、切る伝票枚数の一日40枚(行動量を重視)とし、スーパーなどの大型店舗ではなく、小売店全体に浸透することを目標としたそうです。
まずはマニラ、次にダバオ、カガヤンデイオロと支店を開設し、全土で30以上の支店と営業所を開設し、強力な販売網を作り、売上高も10倍以上に増やしたそうです。
更にこの方法をインドネシア、タイに横展開し、現地密着型の販売体制を確立したそうです。
また、ベトナムでは、売上が増え、大量の商品を運ぶ必要が出てきたため、台車を用意し、大量の商品を運ぶようにしたところ、ベトナム市場には台車を引いて運ぶポーターがおり、教育水準の低い人間の仕事と見られていたようで、現地大卒営業マンの半数が辞めたそうです。
そこから、3人の日本人が代わりに直接対応するとともに、新たな社員の採用は高卒に切り替えることで、台車も定着、売上が着実に伸びていったという逸話があるそうです。
中国への進出は、1990年代。
中国では最初合弁会社を作ったが、北京、上海、広州で販売会社の設立に踏み切ったそうです。
尚、日本からのVIP対応もあり、秘書と運転手の採用には、慎重を重ねて選定すること、社員の給料をケチらないこと、美人を雇わないことなどを意識し現地法人を立上。
見事中国市場でも成功したそうです。
②ナイジェリア再建請負人
ナイジェリアには、既に中国製のうま味調味料の市場があったが、赤字続きだった現地法人を黒字化するために、卸売から直販体制の構築のために、日本人が3名着任。
現地で調べてみると、うま味調味料の9割程度がイスラム系の人々が住む北部で消費されていたそうです。
一方、ナイジェリアでは詐欺や不正が多い為、防止する具体的な仕組みの構築。
マラリアなどの病気への課題、更にインドネシアで起きた豚成分の混入報道への対策、治安が悪い中、強盗への護衛対策など、苦労しながら、直販部隊を確立。
全土に18のデポ、41チーム、総勢123名、1999年の2068tから2003年には、15,948tへと驚異的な伸びをみせ、黒字に転換したそうです。
③ペルーの大地に溶け込む
ペルーでは、味の素がアジノメンという即席めんを開発した経緯が紹介されています。
ペルー人の味に合うよう、現地に赴任した方がペルー全土を踏破し、スペイン語は自由に使えるようになり、ペルー料理ばかり食べた結果、ペルー人にあった味の開発に成功し、二つの製品の黒字化に繋げた話が紹介されています。
尚、駐在した小林さんという方は、以下のHPで2020年味の素退社後、夫婦でペルーに移住。製麺会社を立ち上げたとあります。
料理通信 JOURNAL 南米人の好みを熟知した製麺会社ナン・フーズが誕生 | keikoharada.com
④インド炎熱商人
インド味の素社は、2003年に設立。米飯を主食とするチェンナイに現地法人を老いたそうです。
➀タイ味の素社の子会社として、同社からの輸入で経営するため、港から近い立地が便利だったこと、
②バングラデシュ寄りのコルカタも米が主食だが、西ベンガル州が共産党政権で進出が難しいこと、
③チェンナイは南インドの政治経済の中心であり、食事が美味しかったこと、
④インド味の素社長となった方がチェンナイに住んでいたことなどがあったそうです。
尚、インドでも1日三食インド料理を食べ、味の素を振りかけて入れると美味しくなる料理を食べ続けた結果、タマリンドやトマトを黒コショウやニンニクで味付けして煮たラッサムというスープに合うことが分かり、CMなどのキャンペーンも打ち、売上を増やしていったそうです。
また、インドならではの、生産に関する苦労なども相当あったことがこの本で紹介されています。
⑤エジプト革命と動乱の日々
2011年 味の素はエジプトに現地法人を設立。
エジプトの外貨収入源が、観光、海外の出稼ぎ送金、石油ガス輸出、スエズ運河通行料といった中、「アラブの春」が訪れ、治安が悪化し、外貨収入が激減する中での設立となったそうです。
イスラム文化の一つであるラマダンなどの文化の違い(ラマダン期間中の勤務が難しいこと)。
エジプトには、目ざとくテークチャンスし、汗を流すことなく口利きをするのが、頭がいいとされ、地道に働くのは「ロバ」だとバカにする価値観があるそうです。
従って、毎日地道に仕事をする価値観をない中、味の素の「足で稼ぐ」仕事の仕方を植え付けるために駐在した方の奮闘ぶりを書かれています。
⑥ナイジェリアの納豆調味料(ダダワ)開発
最後に出てくるのは、再度ナイジェリア。
ペルーでの商品開発を行った小林さんがナイジェリアに入り、新しい商品を開発していった経緯が記されています。
ナイジェリア北部に続き、南部の市場に入り込むことが課題であった味の素が、
➀味の素食品のイメージ向上に向けての地元有力者との交流、
②ダダワといういなご豆を発行した納豆のようなものの粉末加工調味料の製造、販売を目指していった経緯が描かれています。
具体的には「デリダワ」という名前で商品を開発、製品品質の課題や商品の承認、実際の現地での製造に至るまで苦労しながら進めた結果、デリダワが首都ラゴス、カノ、ソコト、オニチャで順調に売れていったそうです。
⑦私の所感-海外営業している人なら、味の素の現地開拓の凄さが分からないはずがない
味の素の世界での奮闘ぶりは他業界にいると信じ難いものに映ります。
値段が高ければ、パッケージを小分けにして販売する。
先ずは現地での評判に繋げるため、小売店への直販を足を使って対応し、全土を回る。
現地の言葉や風習を兎に角理解する。
文化が違うところには、その料理に合うものがないか現地食を3食食べて、合う食事を研究したり、新しい商品を開発する。
結果、東南アジアや中華圏のみならず、インド、イスラム圏、アフリカ、南米大陸にも進出しているのが、物凄いと感じます。
ちなみに味の素のHPは、英語の他、アラビア語、スペイン語、フランス語、韓国語、ポルトガル語、タイ語、ベトナム語,中国語2種類などへの翻訳転換ができるようになっています。
更に、味の素自身は、更にアミノ酸技術を活用した半導体の絶縁材料、医療向け、冷凍食品による欧米への進出など、この20年のうちに、本当にグローバルで活躍する会社になっています。
しかし、その原点となる海外での味の素の販売/食品開発の歴史が凄いこと。
そしてそれを黒木さんが物語風に凄く臨場感を持って書いていらっしゃることから、今回紹介させて頂きました。
本の方では具体的に実在した方の視点から毎日の生活にも密着して書かれていますので、是非本の方をお読みください。