本日はグルチャラン・ダスさん著作、野地秩嘉さん取材・構成、鈴木 修さん巻頭解説となる「日本人とインド人」を紹介します。
グルチャラン・ダスさんは、ハーバード大学に留学、同ビジネススクール卒業後、1968年に米医薬品メーカーのリチャードソンのインド子会社となるリチャードソン・ヒンダスタンに就職。
その後アメリカ等を得て、会長兼CEO。
その後親会社がP&Gに買収され、P&GインデイアのCEOも勤めた方です。
そののち50歳で作家に転向。
ビジネス界での新聞等への執筆を通じて経済/政治/実業家に影響力を及ぼしてきた方だそうです。
更にこの本の巻頭には、スズキの鈴木 修会長が解説を行っており、スズキがインドに進出した時の苦労話まで書いてあります。
この鈴木さんに言わせると、著者のダスさんというのは、インドの福澤諭吉に匹敵する教育者だそうで、常にグローバルビジネスの現実を説き、インド人の精神性を忘れないよう語っているそうです。
➀人の心は変わらない-慣習、風習は変わる。
スズキがインドに進出したのは、1983年。
当時会社を設立して仕事を始めた時に、インドの慣習、風習が前面に出てきたそうです。
それは、工場は「日本的な経営にする。スズキが全面的に運営する」はずだったのが、無断でボードメンバーやマネジャークラスが自分の個室を作っていたこと。
カースト制度が残っていたため、同じ食堂でワーカーと食事をするのを幹部が嫌がった事。
これを全て日本人が率先垂範で、同じ作業服を来て、ワーカーの最後尾に並び、自分の順番が来るまで待ったこと。
大部屋にして執務するよう変えたこと。
だったそうです。
尚、鈴木さんが考えるに、変わったのは風習や慣習であり、人間の心は変わらなかったと考えているそうです。
また、進出した時に、鈴木会長は、日本の焼野原だった日本と発展した日本の風景を映した映画を作り、インド人幹部に日本と同様、頑張れば豊かになることを知らせたかったと言います。
日本がかつてアメリカに助けられ、経済復興し、成長したことを踏まえ、そのお礼を東南アジアやインドにすればよいと考え、インドに進出。
また当初殆どの部品を日本から持って行ったが、日本の部品メーカーの進出、現地部品会社の技術指導により、殆どの部品をインドで造れるようになり、現地部品調達比率は95%になったそうです。
尚、インドの首相、モデイさんともグジャラート州の首相をやっていたことからの付き合いだそうで、インド人の心をひとつにして、インド人が豊かな生活を送ることを願って働いていると評価しています。
ちなみに、スズキの株価を見ましたが、以下の通りでした。
正にインドと共に発展してきた成功事例と言えますね。
第1章 私にとってのインド
第2章 インドはこんな国
第3章 インドの経済改革
第4章 カーストの意味と役割
第5章 日本人とインド人
第6章 インドで成功する日本企業
第7章 インドの日本人ビジネスマン
第8章 これからの日本とインド
②インドという国
ダスさんによると、インドは北側には、ヒマラヤ、カラコラム山脈、東はパトカイ、アラカン山脈、西側はサライマン山脈とヒンドウークシュ山脈に囲まれます。
一方、東南はベンガル湾、西南はアラビア海となっており、各港湾都市(コルカタ、チェンナイ、ムンバイ)からインド商人は外に出て行った歴史があるそうです。
また、野菜、果物、木の実が豊富なため、野菜、果物、乳製品のみで十分に栄養は足りると考えているため、結果として菜食主義の人間が多いと指摘しています。
更に、中東から他民族が入ってきても、同化を迫らなかったため、インドが多様性の国になったというのが、ダスさんの分析です。
尚、現状の5-7%の経済成長が続くと、1世代(20-30年)に全国民の50%が中間層になるという予測がされており、その人数は7億人近い人々が対象となる。
その人数は東南アジアまるまる全体より、大きいことをダスさんは指摘しています。
ちなみに、インド国民のヒンデイ-語の識字率は71%、一方全人口の12%が英語を流暢にしゃべれるそうです。
インド経済という視点では1991年から大きく変わったそうで、自由主義経済になった後は、継続して7%程度の経済成長を遂げているそうです。
ちなみに、ダスさんは50歳の時にP&Gをやめてフルタイムの作家兼コラムニストになり、市場主義経済を守ることを使命に、メデイアに継続して連載しているそうです。
③インドの王と中国の皇帝
インダス文明が興ったのは起源前2600年ごろから同1800年頃。
そして起源前1500年にアーリア人がパンジャブ地方にやってきて、先住民のドラヴィダ人を支配して、定住の生活を始めたそうです。
その後16世紀にムガール帝国ができ、インド亜大陸の大半を統一するまで、インド各地に統治者が産まれ、「王」と呼ばれるようになったそうです。
この「王」の役割は、インフラの整備と、限定された徴税権(収入の6分の1迄)と決まっていたそうで、中国の皇帝の人民を統治するために徴税し、軍事の為に人民を徴募する権利とは大きく違っていたそうです。
従い、インドでは統治者に絶対権力を許さなかった社会のため、民主主義が根付いたとも言えるとダスさんは分析しています。
④ビリヤニ社会
7世紀の後半、元々中央アジアに暮らし、北西部のラジャスタンにいたラージプートという集団が北インドに入ってきて、独自の王国を建てます。
その後土着のパーラ朝、北インドにイスラム系のガズナ朝が建国されるという風に、さまざまな人々が入ってきたそうですが、インドは多様性を重んじるので、いまだにラジャスタンに行くとラージプートの人々が残っているそうです。
中国社会が人種をミックススープにするのに対して、インドはビリヤニ風にそれぞれの人種がオリジナルの形で残っているそうで、移民も移民のままでコミュニテイをつくり、発言する。という世界だそうです。
⑤パイを焼く前に分配する
インドは、独立後、デモクラシーが確立して低い地位のカーストが引き上げられ、ダリットと呼ばれるアウトカーストだった人の大学進学、公務員への応募の特別枠が設けられました。
一方、デモクラシーはポピュリズムに通ずるため、インドの弱いところは、政治家が前もって成功の成果を分配してしまうことを約束してしまうところだそうです。
例えばパンジャブ州では、農民は電力と水がただで入るそうです。
特に州政府の力が強いため、州知事の意向でなんでも通ってしまう。
一方、経済を良くするには長期計画が必要で、2014年からナレンドラ・モデイが首相となって政治をリードするようになってから、資本主義、自由主義の当たり前の理屈が以前より通るようになったそうです。
⑥モデイ氏による経済改革
1991年の経済改革まで、インドでは社会主義により、
➀貿易は悪、
②自由経済のビジネスを否定したためビジネスマンが海外逃亡したこと、
③ビジネスを始める際に政府の許認可を50-60取らなくてはいけなかったこと、
④外国資本の参入を厳しく規制し、資本の40%までしか投資出来なかったこと、
⑤労働者を解雇出来なかったこと、
⑥教育、医療、芸術の振興にまったくお金を使わなかったこと
で経済成長は殆どしなかったことをダスさんは指摘しています。
経済改革の後、IT産業を中心にインドはニューマネーが登場しましたが、決め手となったのは、規制改革とデジタライゼーションだったそうです。
現在は、12億人以上がアドハーシステム(国民識別番号制度)に登録され、銀行口座の開設、携帯電話利用率なども上がり、貧しい人に渡る給付金が銀行振込になったことで、中間搾取が減ったそうです。
更に、従来州ごとに異なる税目で課していた消費税も、GSTの導入(平均18%)により、
➀0%-家畜、魚、ミルク、野菜、フルーツ、米、豆類等、
②5%-例と魚、はちみつ、サンフラワーオイル、
③12%-バター、ドライフルーツ、ソーセージ、ガーゼ、18%-コンデンスミルク、佐藤、パスタ、カレーペースト、飲料水、石鹸、
④28%-チューイングガム、タバコ、花火)
全国統一の税になったおかげで、業務が簡素化され、3倍以上物流が効率化されました。
その結果、ビジネスのしやすい国のランキングも、2014年134位から2020年には63位(日本は29位)にまで上昇したそうです。
特に建設許可、国境貿易、ビジネス立上の3項目について、デジタライゼーションを図ることで、汚職撲滅や、時間やコストを削減する方向に変わっているそうです。
尚、先ほど挙げたアドハーシステムに組み合わせ、消費者金融、企業向け融資、住宅ローン、投資、資産運用、債権回収などの業務執行ライセンスを持つ金融ベンチャー(DMI)なども登場し、ベンチャー企業が大きく伸びているそうです。
更に、物流の効率化や農業における融資なども効率的になった事で、農作物の廃棄量も、従来の60%から30%へ減ったそうです。
⑦カーストの意味と役割
ヒンドウー社会には、4つのカーストがあります。
➀僧侶、教師であるバラモン、
②地主、武士のクシャトリア、
③商人のバイシャ、バニア、
④農業労働者/職人のシュードラ、
更にその下にカーストに属さないアンタッチャブル、ダリット(被抑圧者、不可触民)、トライバル(部族民)に分かれているそうです。
また、上の3つがインド人口の15%を占め、3000年にわたって、国を支配してきたそうです。
また、人口の半分が肉体労働者のシュードラ。
残りがダリットとトライバルだそうです。
一方でダスさんが注目しているのは、カーストとは別に移民集団や地域別、職業別のサブカースト=ジャーテイの方で、その数は約2000あります。
このジャーテイーに属する人々は伝統的な職業を共有し、そのジャーテイ以外の人とは結婚もしないし、食事で同席もしないそうです。
このようなカーストが産まれた背景について、ダスさんは、インドが多様性の国で、民族、宗教、言語とさまざまな集団が寄りあってできていることから、カースト制度は多くの人種、民族が数千年にわたって共存することを可能にしたひとつの社会制度だと考えているそうです。
但し、軍人や行政職はどのカーストにも開かれているそうですし、新しく生まれた職業(IT)も土のカーストにも開かれているそうです。
新しい職業が誕生し、人数が増えて、コミュニテイになると新しいジャーテイになる。
そして富裕になった人は自分のカーストを昇格することもあるそうです。
尚、独立した政府は、ダリットに大学の入学定員や公共部門と政府の職の20%の枠を与えたこと。
更にシュードラに30%の枠を与えることを法律化したそうです。
ダスさんは日本の士農工商制度とカースト制度が自分が属するコミュニテイは何かという階層区分という意味で似ていると言います。
一方、士農工商の中でも、有力な金融業者が自分の息子を武士の娘と結婚させることで子孫を武士にし、上位階層を金で買ったこと。
更に日本が明治維新以降、産業社会に移行すると、武士階層の出身者は工業化の戦士として、財閥や新しく興った企業のビジネスマンになっていくという過程を辿っていることがインドでも起こりつつあると言います。
経済改革後、インドの財閥、起業した経営者が新しい尊敬を勝ち取り、起業家になることを望む人が増えていること。
またバラモンとクシャトリアの子どもたちがもはや公務員、軍人を最高の職とはみなさず、お金儲けを目指す若者が全インドに現れているそうです。
このまま経済が成長していけば、新しい職業が産まれていき、そのコミュニテイが大きくなることで、カーストと職業の伝統的な結びつきが弱まるとダスさんは予測しています。
⑧ジャーテイーの9割は商業、サービス業
インドのジャーテイーのうち、9割は商業、サービス業だそうで、新しく産まれてくるベンチャーも含め、インド人は圧倒的にこの分野で働いているそうです。
このビジネスマンのジャーテイは、若いうちに数学、会計、経理、財務を勉強し、18歳になったら独立しろと言われる。
ITで起業している人たちの多数派、アメリカに留学し、帰国した後、コミュニテイの支援を受けて起業。
起業して成功したらお金をコミュニテイの寄付。
ファミリーの仕事を受け継ぐのは一人だけで、他の兄弟は自分で仕事を始めなければいけない。
というのが決まりだそうです。
ちなみに有名なマリワナ商人(ビルラ、ダルミヤ財閥)があり、
「起業家の富は社会に属し、企業家はその富の障害の受託者に過ぎない。」
「菜食にし、アルコールも飲まず、喫煙もせず、早寝早起きを心がけ、早い時期に結婚し、部屋を出る時は電灯を消し、規則正しい習慣を身につけ、毎日散歩をし、家族との連絡を保ち、なかんずく無駄遣いをするな」
という自制と倹約が蓄財に繋がるという考え方を実践しているそうです。
このようにインドには、様々なコミュニテイがあり、カーストそのものよりも実生活に影響をおよぼしているそうです。
⑨日本人とインド人
ダルさんは、日本人とインド人で共通している考え方として、「お客様は神様です」という概念が似ていると言います。
日本に行ったことのあるインド人は、日本のサービス業、接客業の人たち誰もが、この言葉通りのことを実践していると信じているそうです。
インド人にとって「日本がインドの国のモデルとなり得るか」を知る際に、ダルさんは、製造業を主力とする輸出で富を得る経済体制ではなく、シンガポールのように金融、IT、サービス業で成長する形になった日本になれば、サービス業の先進国としての日本を理想にしたいと考えているそうです。
また、インド人は西洋の科学技術がインド人の思想、文化を壊すことを恐れているという考え方があるのに対して、日本人は一見、几帳面だけど個人生活では楽しみを追及している。
そして柔軟だから西洋の科学技術もするりと受け入れた。
この乗り越え方を知りたいというのもインド人にあるそうです。
また、産業革命がヨーロッパ北部と北アメリカに起こったのは、その地域の人々がプロテスタントで、個人主義、節約および勤勉という倫理観を持っており、特に企業家の間で強かった。
一方日本は家族、会社、および国家への忠誠心を植え付けたその文化ゆえに成功する。
この文化が日本人を勤勉で社会的規則を身につけた実行力のある存在にしていると分析しています。
しかし、その成功の為に、日本人の伝統的な生活、小さくとも庭月だった家が、集合住宅に住み、TV、パソコンがあり、子どもは自分の部屋に隔離され、日夜勉強する。
父親はよそ者で自宅と職場の長い距離を移動する。
その結果、故郷の村、そこにある神社との結びつきは断たれ、日本教の根本原理である調和も崩れつつある。
インドは、賢い象で、ゆっくり時間を掛けて成長することで、独自の文化を守りながら成長すればよい。
これがダルさんの結論だそうです。
尚、日本人や日本企業は、もっとインドに出てくるべきとダルさんは主張しており、その成功者として、スズキとトヨタを上げています。
スズキは経済改革前から政府との合弁で参加し、その後民間企業として成長したが、スズキの担当者は、鈴木修会長の指示のもと、ローカライズをちゃんとやっていると言ったそうです。
ダルさんの考えでは、海外企業がインドに来ると、インド人従業員を見下したり、傲慢な態度を取ったりする人がいるが、スズキの日本人はそういったことが無かったそうです。
もう一つスズキの成功はインド人が買える価格で車を作っていることも指摘しています。
また、トヨタは、インドで販売店の点検修理サービスに力を入れており、顧客志向であることと考えているそうです。
排ガス規制の点検への提起対応、食事の無償提供、車両点検の60分以内の短時間点検が感じ入ったそうです。
ダスさんの考えるグローバルで成功するための5か条として、
➀顧客の為に一生懸命働くこと、
②取引先をフェアに扱うこと、
③従業員を尊敬すること、
④法規、コンプライアンスに忠実に従うこと、
⑤地域社会に貢献すること。
地域の学校、共同体の為にボランテイアをする。
特に日本人ビジネスマンがこの地域への貢献をしていないことを上げています。
⑩これからの日本とインド
経済改革の後、モデイ政権になってからインドの国際競争力は改善しており、デジタライゼーションがあり、金利が低下し、外国資本の受け入れも徐々に緩和されつつある。
更に高速道路と港湾が改良され、不動産市場が透明性を高めている。
何より、インドの経済がサービス分野と個人消費の力強さで成長しており、インドの個人消費がGDPの59%と、ヨーロッパや日本の56%、中国の39%より高いことが成長するために、消費主導している路線がバランスが取れているとモルガン・スタンレー ステファンローチ氏は語っているそうです。
その中で、ダスさんが指摘するのは、「保護主義は取り入れてはいけない」ということです。
その理由として、
➀保護主義は劣等感の反映であること、
②沢山の消費者の犠牲があること、
③生産者の利益にもつながらないこと、
④インフラを外国資本に頼らなければ整備が出いない中で、外国資本の消費財の生産、販売を受け入れないのはおかしいこと、
⑥更に輸入規制などの保護主義は汚職がはびこる余地を残す等を上げています。
更に言えば、世界からさまざまな文化が入ってくることが大事と考えているそうで、インドはアーリア、ギリシャ、仏教、イスラム、西洋等極めて多元的で多様な文化を受け入れてきた国だそうです。
日本も中国、朝鮮、インド、アラブ、西洋の文化が混ざりあっており、グローバル文化に染まってしまうように見えても、基盤が強固だから豊かさと独自性は維持できると考えているそうです。
更に、インドと日本の未来は、製造業の振興よりもサービス業にかかっていると考えているそうで、世界に通用する製造業は必要としても、全体としてはサービス業を中心とする経済に移行する必要がある。
それは、IT、金融サービス、モビリテイ、ホテルなどのシェアサービス、MAASと呼ばれる交通サービス、観光、飲食業などだそうです。
このような各種サービス業は、シンガポールのように便利な社会をつくって海外から金融サービスの会社を呼び込む、良質で競争力のあるサービス業を提供していけばよい。
21世紀の世界で中国の成長は世界の脅威になるが、インドの成長は世界の脅威にはならないとリークアンユーは話しています。
ちなみに、インド人が日本人のどこを評価しているかと言えば、一言でいうと、ヒューマンタッチなコミュニケーションだそうで、理屈だけではなく情緒を重視する姿勢がインド人と同じだそうです。
更に信頼を築いて仕事をしていこうという姿勢、公共の秩序を重んじる気持ちがあり、和やハーモニーを大切にする。
独自の伝統文化を忘れない。
目上の人を尊敬する社会であること。
実力主義が徹底していること。
これが日本人に対するインドの人の感覚だそうです。
特にインドの貧しい人向けのフィナンシャルサービスに日本企業が入り込む余地があるとダスさんは主張します。
一方で、インドに足を運ぶ企業トップは、アメリカ、中国、韓国に比べて日本は少なく、トップマネジメントがコミットしていないこと。
また、日本人ビジネスマンは、つねに日本に帰ることを考えていることが、日本企業が成功しない要員だそうです。
私の所感ー多様性と規制
今の日本は、経済成長していた時代は当の昔に終わりをつげ、人口は減り始め、規制改革もあまりせず、同質的な社会を維持しながら、緩やかに衰退している感覚があります。
一方、インドは外資規制を撤廃、デジタル化、税制改革など、発展する様々な下地を作っています。
先日インド デリー、ムンバイに行って感じたのは、これから大きな発展が起きる雰囲気があったこと。
またホテルのサービスに関しては、寧ろインドがしっかりしている(洗濯物は半日でクリーニング完了、レストランも人を配置し、サービスへの気配りをしている)ことが分かりました。
日本が今後前進して成長するには、移民を受け入れ、移民集団として社会に定着することを応援してはどうかと日本人執筆者の野地さんは言います。
少なくとも外国人が日本にもっと来たくなる下地作りに参画することは、「日本人と海外を繋げる」ことを目的としている私にとっても、やってみたいと思いました。
いずれにせよ、インド来ますよ!